朝が来て、あっという間に夜になるという夏期講習!なぜ数Ⅲばかり解いているのか!?ー高岡の個別指導塾チェリー・ブロッサム
今日は珍しく午前中に指導がないので、ちょっとだけ時間を見つけてブログが書けます。
昨日から大雨警報が出ています。
余裕があるはずだった今朝、教室に到着しても自習に生徒さんが来られていなくて、
これはみんな、今日来るのは大変なのかしらん!?
と思い詰め、教室の駐車場の前をあれこれしていて、濡れたので、着替えに家に帰ってすぐにまたスマホの警報が鳴りました。
うわあ、今日はみんな来れないのか!?
小杉方面から来る生徒さんが数人おられます。そのうち一人は今日来ないことが分かっていたのですが、この後どうなる!?
ということになり、またまた思い詰め、
今日は休校だ!?
と思ってご連絡すると、もう、ちょっと遅れて自習室に来る生徒さんが 教室にいることが分かり、親御さんから、
迎えに行きましょうか?
ということになり、いえ、では自習で・・・、となったのですが、やっぱり来れる?勉強したい?と再度連絡すると、なんと大半の生徒さんは、教室に来たいと思ってくれていたのでした。
勝手に振り回されていました。(笑)
一人で振りまわって、あっという間に休校から指導実施となりました。
今日はあれこれあって(生徒さんの、オープン・キャンパスなどで。)、お休みにしても影響が少ないなと思ったのですが、とはいえ、しばらくするとあっという間に雨は上がり、何をしていたのだろう?ということになりました。
さて、毎日受験指導に追われる日々ですが、なぜか日本史と英語と、なんと数学をメインに指導しております。
かつて高2の三学期にちょっと触ったという数Ⅲを含めた国公立二次理系の数学に格闘しています。
とはいえ、パターンを理解してしまえば、結局、微分して、極値求めて、それからあれこれ~というのがつかめてきて、
そういうもんだよなあ・・・。
と思い始めています。
名古屋大では、以前から、数学の公式は全部問題用紙に掲載してくれていて、私のようなナマケモノにはぴったりだなあと思っていたのですが(覚えるのが嫌で、昔から理屈のある方が好きだった。)、記憶が怪しい公式をあれこれ確認しつつ、
なるほどね!
と連発しながら解いていきます。
解いていくなんてものではなく、解法を理解していくという方が正しいかもしれません。
一方英語では、一学期に(大学では今なんというのだろう?)、大学の英語で経済学の原書を読む講座に出ていたのが、功を奏したのか、訳すことが以前にもまして素敵なことになりました。特に国公立二次試験用の英語長文や英作文は楽しいのです。
日本史は何度目だろう?
指導のための勉強を進めると、毎回、以前よりもその歴史の流れが分かって来て、私自身が楽しんでいます。
やはり知らないことを知っていけるという点では、数学が一番楽しいかもしれません。
とはいえ、楽しんでいる私のそばで受験生たちは表情を変えるくらいに真剣で、教師は教える内容を楽しめなくては指導がまずいものになると教わった教員時代の教えを守り、いまだに指導を楽しむことを心掛けている私のそばにいる受験生の気持ちにも敏感でなくてはならないと思っています。
難しいと思ってしまえばそこで進歩は止まります。
ときに難解な数学の問題を前にして、何とか解こうとするときには粘り強さがものを言います。
受験生たちは、もう自分で考えている時間がないから、そこに私がいるというわけで・・・。
その責任の重さと真剣さと、自分が楽しいと思って進めていくことのバランスが大事です。
この問題の類題はどれに当たるだろうか?と見極め、最も適した問題をもってくる。
そして、そのパターンを徹底的に身に着けてもらう。
その繰り返しになるのだと思っています。
理系の数学の重さと、文系の社会の重さに(本当は国語のはずなんだけど?)、私は重責に押しつぶされそうになりながら?(ウソウソ?)楽しく予習しているのです。
以前から親しく思っていた室町時代の性質を、ああ、こういう時代だったんだなあ・・・、と現代文の評論でよく話題になるのとは違う切り口で考えてみたり、小説でも登場する日本史での有名人を、ああ、こういう意図で○○なことをしたのだなあ・・・、などと新たな人物像としてイメージを持ってみたり・・・。
中学生の指導にも大学受験指導は生きてきます。
今、これをマスターしておけば、後々大変に役に立つな、などと。
昨日中三クラスで読んだ英文は、とても素敵な英文でした。
土佐高校の過去問でしたが、学校で学ぶのはどうしてなのか?という点を素敵に英文にした問題でした。
文法的に語る要素も満載でした。
県立入試は、数学は難化傾向、英語はものすごく難しいわけではないかもしれないけれど、その読まなければならない量が半端ありません。
とりあえず、
おもしろい文章なんだけど。
とか、
これは複雑だけど、解けたときには、なるほど!と思うからね!
などと前向きになってもらえるように努めています。
受験に能力差を語る向きもありますが、私は結局粘り強さが成功の秘訣だと思っています。
わからなくても目の前の問題に取り組んで、何とか解いてやる!とあれこれ方法を考えて、取り組む姿勢がすべてだと思います。
もちろん地頭をおっしゃる方もいらっしゃいますが、地頭というのは、ある程度勉強した後で影響があるものであって、地頭だけで成功する人など、私は知りません。
札幌の進学校に指導しに行っていた頃、私立だったので、公立のトップ校を受験してきた生徒さんがいました。
その生徒さんによると、中三の夏まで友達と遊んでいたそうです。
なんとなくできてしまって、普通に受験したけど、公立は不合格だったそうです。
その私立の学校でもなかなかできる生徒で通っていましたが、やはり受験の当日に、実力を発揮するためにはそれなりの準備が必要だということだと思います。
全然勉強せずに東大の受験の前日も温泉に行っていて、それで私立の偏差値最難関のところに入学された、素敵な方を知っています。生き方だから周りがとやかく言うことではありませんが、それも受験には、偏差値だけでは語れない誠実さが必要なように思えてなりません。
粘り強く取り組むというのは、学習に対して誠実であることの証左であり、真剣に取り組んでいるということです。
真剣に取り組まないで、結果だけが欲しいというのは、無茶苦茶だし、自分が努力しないのに、誰かが努力した結果を、いいなあと思うというのも、違うと思います。
15歳の春に、受験があるということを前向きに考えれば、こんなに人として成長させてくれることはなかなかないと思うのです。
大学受験もそういう意味で、受験させてもらえるということのありがたさを思うくらいでちょうどです。
受験くらい、ちゃんと乗り越えなくては・・・。
よほどのハンディでもない限り、受験はある意味平等です。
もちろん、親ガチャなど言い出したらキリがない。
でも、そういうことも含めて自分自身の課題だと思えば、乗り越えた先に、いえ、乗り越えるためにあれこれ自分と付き合い、自分の機嫌を取り(何かに腹を立ててしまったら、受験勉強ができません。)、何とか勉強を前に進めていくということがそれからの人生を生き抜くための力を培ってくれると思うのです。
こんなに自分を鍛えてくれる機会はないと思います。
私自身も、若い世代の受験にお付き合いさせてもらっていることで、私自身が鍛えていただいているという一年一年を重ねていくことができるのだと思って、感謝しています。