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しあわせになる力を培うためにも受験はあると思っている。-高岡の個別指導塾チェリー・ブロッサム


Leonhard NiederwimmerによるPixabayからの画像

毎日塾生たちはいろいろな顔を見せてくれます。
ときにはドキッとするような、

普通言わんやろ・・・?

という発言もあったりします。

これが友達とかほかの人間関係だったら、そーっと離れて終わりで、性格上、誰かと対立したくはないので、それでも相手が分からないときになって初めて仕方なく気持ちをお伝えしたりはしますが、波風を立てたりはしないでしょう。

成長途上の生徒さんの、ちょっとあれ?という発言には二つの意味で悩ましくなるのです。

今この子はこういう表現をせざるを得ない状況なんだな、と思ってしばらく置いておきます。
そうして付き合っていきます。
少しずつ少しずつ心を開いてくれるのを待って、少しずつ少しずつ指導していく・・・。

とはいえ、これを社会でやってしまってはどうしよう・・・?

と思って、注意すべき時を選ぶのです。

それに、変だなと思う表現をするときは、その子その子の性格もあったりしますが、大抵何か抱えていることがあるものです。
そんなとき、まったく違う話題を振って、糸口を見出すこともあります。
何を悩んでいるのか?
何を抱えているのか?
そういうことを抱えたままだと、学習に効率的でありません。
効率という言葉では語り切れないことでもあります。

受験というのは、もちろん目に見える学習という、教科に対しての努力もあります。でも、その主体であるご自分の心がある程度整っていなければうまく内容が入って行かないのも事実です。
それに、人にしたことは返ってきます。

大抵うまくいく人っていうのは、

ああ、彼ならね・・・。

とか、

彼女だから・・・。

という目に見えない何かがあるものです。

受験期は誰だってしんどいし、荒れるものです。
でも、学習の効率という点から言っても、自分で自分の機嫌を取ることができるというのは、大きく結果を変えるだろうし、大学に行っても、社会に出ても役に立ちますし、何より、自分で自分の機嫌を取ることのできる人は、しあわせだと思うのです。
誰かが○○だから・・・、とか、条件をあげつらったり、自分の能力のせいにしたり、というよりは、ただもう今の自分の状態から、一秒でも早く、一分でも早くさっさと努力するのが一番効率的だというものです。
目の前にある困難なことや、言ってみれば逆境?などに目を向けるのではなく、いや、目を向けるなら、

これを乗り切ったら、自分はどれほど素晴らしい人間になれるだろうか?

という明るい逆境への目の向け方がいいかもしれません。

人から見えない逆境もあれば、人から見えない順境もあります。
ついでに、小さなことにしあわせを思うのもいいかもしれません。

私の大好きな、大好きと言っていいのかわからない深刻な内容の本ですが、ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』やその他のシリーズの本の中で、もう考えられないほどの小さなことにしあわせを見出すフランクルの姿についての描写を読んだことがありました。普通ならそれは良いことと思えないことにさえ小さな喜びを見出すのです。

少なくとも、強制労働をさせられるわけでもなく、学校に行かせてもらって、受験に向けて勉強させてもらえるのです。
親御さんだって不安です。
親御さんも先生も友人も一人の人間で、誰も完璧な人などいません。

私の周りにも、受験期の先生方の言葉にいちいち引っかかっている人もいました。

腹立つから絶対に合格したんねん!

と怒った友達は不合格でしたが、

それも私が悪いから・・・。

などと思った、誰とは言わない(笑)私は、何とかなりました。(笑)

思えば、結構しんどかった受験期、周りも結構なことを言ってくれたりしましたが、それに振り回されたりしないように気を付けていたものでした。

割と論理的な母になど(母の今のふるまいはおよそ論理的ではなく、ことさらに情緒的なのくせに、結構私を論理でやり込めてくれますが・・・。(笑))、

受験は自分ののことやのに、あんたのしてることは八つ当たりと違うの!?

などと言われる始末。
家族だからこそ許されるというわけで、だから受験期の親御さんには、

お家でのことはちょっと多めに見てあげてくださいね。

とお願いするようにしています。

目の前の受験生のお子さんたちは、そのとき、目の前の受験から、一生懸命に自分との闘い方を学んでいるところなのですから。

公開:2025/10/04 最終更新:2025/10/04
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