高1生の中間考査対策 劉向『戦国策』「虎の威を借る狐」ー高岡の個別指導塾チェリー・ブロッサム

ちょっと反省シリーズ。
先日、高一生の漢文で、皆様もご存じの「虎の威を借る狐」について、質問を受けました。
子以我為不信、我為子千行
子我を以つて信ならずと為さば、吾子の為に先行せん
「以つて信ならずと為さば」の訳です。
「以為」で、「おもへらく」と読み、思ったことには、くらいに訳すこともあります。
そうだとする、そう思う、くらいに訳しますが、そこは中国の文章を日本語に訳すのだから、当然、ちょっとずつ訳し方をその文脈に合わせて変えたりもします。
そこを高1生だから、きちんと訳そうとして、
なんて訳すんですか?
と訊ねてきたのです。
私は、
そうねえ、ここは思ったとしたら、くらいかな、そう断定するなら、というニュアンスで・・・。
と解説していたら、やはり、それをどう訳すか?どういう言葉にするか?ということに、というより決まった言葉を採用したそうでした。
そうそう、国語の難しさ。
そこで、私は片っ端から調べました。
それに、信用できないと思うなら、あるいは本当でないと思うなら、と出てきます。
以つて為すには、「~とする」と訳すこともあります。
確かに、~とする、というのはちょっと訳としては曖昧ですが、信ならずをどうするか?
本当でない、信用できない、ちょっと訳がそれぞれ飛びます。
ということで、つなげて解釈をしました。
劉向の、『戦国策』は、入試問題でもっともっとたくさんの難しい文章を読んできました。
もっともっと難しい文章なら解釈することはある意味簡単です。
でも、高一の、まだ漢文を習いたての生徒さんには、そういう、ちょっとデジタル的にというか、しっかり言葉をどの言葉に結びつけるかというところから話さなければならないのだなあと思ったのです。
難しいことを教えれば、もっとシンプルな簡単なことをおろそかにしてしまいがちになります。
ちょっと反省したという面と、やっぱり日本語は面白いし、ほかの言語から日本語にすることの面白さを思ったのでした。
英語の訳をしているときに、どれほど解釈していいのかちょっと悩むことがあります。
翻訳とは違いますから。
そんなこんなを思ったのです。
それから、「虎の威を借る狐」については、現実社会でもよくある話です。
この狐の愚かさ、面白さ、そうして狡猾さ。
おかしいけれど、そうしてその状態を指摘したとしたらとんでもないことになりそうではあるけれど、ありますよねえ・・・。(笑)
かつて私自身も、ある人と昵懇であるかのように言われて、ふん?と思っていたし、その事実がどこかにあったのかもしれないのですが(つまりはこちらがそう思っていないだけという場合もありますから。)、まるで私が狐のような話になってしまっていたこともあれば、逆に、大した人間でもないのに、虎の立場にされていたのを知って、大笑いをしたこともありました。(笑)
まあね、人ひとりが生きていくときには、いろいろな構図の中で生きていて、どんな構造の中に取り入れられているかということもわかりませんからね!
ただ、こうして漢文の世界と少しでも馴染んでいると、どちらの場合でも、
ああ、「虎の威を借る狐」やんか!
とその構造が分かりやすくて、気付きやすいとは思うのです。
なんだか虎の方が間抜け感を否めませんが。(笑)


