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金沢大学の入試問題から英作文を書いていて、トラウマを乗り越えた私?ー高岡の個別指導塾チェリー・ブロッサム

高3生は、中間考査の間、試験勉強に励みなさい!ということでお休みをいただいていたので、久しぶりの指導。
先日の模試の結果から、数学をやりたいところだけれど、ちょっとお疲れ気味の私は、今日は英語にすることにした。
数学は体力が必要であり、というか、まだ予習が必要な数学は、英語と違って気が張るのである。

そこで、彼らの志望校との絡みで、金沢大学の過去問を解くことにする。
ということで、解いていると、何度も私が笑い出し、

ごめんね!ほんとにごめん!

と言いながら、英文を書き進めるが、これが笑えるのである。

まず最初の文章は、まあ、大人の世界で議論のあるような話題は教科書としてふさわしいだろうか?子どもたちに読ませた方がいいのかどうか?という話題。これは別に笑うところはなかったが、飼っている犬を躾けるは話とか、日本に慣れて、自分のことを日本人だとしか思えないと言っている外国人の話、そうして、最後の英作文。

問1、あなたの今までの人生で、あなたが経験したことを一つ選び、その経験の内容について、「いつ」「どこで」「何を」経験したのか、第三者にわかるように、英語で具体的に書きなさい。

問2、問1で説明した経験から、あなたが学んだことを、50字程度の英語で書きなさい。ただし、コンマやピリオドなどの記号は語数に含めません。

すぐに書き出した。英文はちょっと恥ずかしいので、英訳を和訳し、内容を補強しよう。

問1,私は、高校時代、ブラスバンドクラブで、ドラマーをしていました。指揮者は、いつも、「お前は下手なプレイヤーだ!」と私を叱りました(「シンバル!」と叫んで、睨まれ、周りからは「蛇に睨まれた蛙」と表現されたとは書かなかったが。(笑))。私は、その言葉を信じて、一生懸命練習しました。そしたら、私は良い演奏家になれました!

問2、私はいつも、「純粋だ。世間知らずだ。人の言うことをすぐに信じる。」と言われます。それは真実です。そして私はそんな自分が嫌いでした。しかし、誰かの言うことを信じるからこそ、私は一生懸命に練習します。そしていつもその分野では何とかなるのです。だからそれでいいのです。

かなり脚色もあるが、高校時代のトラウマになりそうな?(笑)先輩の顔と、その後のあれこれと、それ以後に起こった他のことは全部結構忘れている事実を考えて、そして、一生懸命習得してきたことを思って、すらすらと書いてしまった。

もちろん、本当に下手だったこともあろう。それも真実。
でも、育てなかった人もいらっしゃると思う。
教師がそうであるように、指揮者は、プレイヤーの力を引き出すのが仕事である。
そこを省略して、思い通りにしようだなんて、それは無理がある面もある。
そのほかにもあれこれいろいろあったけど。
もし、当時、高校教諭として、その場面に立ち会ったとしたら、指導を入れるレベルだろう。
横暴とかいうレベルではなかったと思う。
神経質に叱るだけの顔。
誰かの前でも平気で嫌味を言う。
一先輩としても、一指揮者としても、違うって思う。

それに、その先輩が高3の時の年賀状には、

君のこの一年の精神的成長には目を見張るものがあります。今度は僕の番です。頑張ります。

と書いてあった。やっぱり音楽では絶対に認められない私だなあと思っていたし、下手やしなあ、と思っていた。

が、最近、私もいろいろな人を見てきてわかった。

母に、○○言われた、と言ったから、おそらくは母が見るであろう年賀状に、いわば保身で書いたのだろう。
私がすることだけは、絶対に認めてくれなかった。
いろんな場所でご一緒しても、絶対に嫌味な何かがあった。
そりゃあそうだろう。
私は保身になど走らない。
責任は責任。ちゃんと謝るところは謝る。

その先輩方と関係のあった先輩は、大学生になられてから、会うたびに、あの時は悪かった、と言ってくださった。
ということは謝るだけのことがたくさんあったのだろう。

先日、ふと高1生と話していて、

あの時の自分と同じ学年なんだなあ・・・。

と思って話してみた。

先生、それ、文章にした方がいいですよ。

と言っていた。令和の高校生と昭和の高校生は違う。
しつこいことは嫌いである。
でも、過去のこと?という人にはたいてい言ってほしくないことがある。
教諭をしていた自分も、あの頃のことは、違うと思う。

もちろん、大学入試の過去問の英文を書いて、生徒の前で大笑いしたことは事実である。

長らく音楽と、そうそう親和性のある人間ではないと思ってきた。
それ以外の分野では結構やりたいようにやって来た。
特に国語を教える世界ではそうだろう。

札幌時代の人からは、教師をしていると言えば、

音楽の先生だったよね?

と言われたりする。

こちらに来てからは、ピアノをやっても歌をやっても、それなりに見ていただいてきたけれど、本当に学生時代は、何に委縮していたのか、演奏があんまりだったなあと思う。
とはいえ、得意分野の演奏では、ご指名に与るほど、頑張っていたのだけれど・・・。

今でも高校時代の先輩のあの怖ーい顔だけは忘れない。

一緒に食事をしているときに思わず態度に出てしまったことも、大学時代、線路の向こうのホームに立っていらっしゃるのを互い認めながら、私の身体が、挨拶することを拒否していたこともあった。いつもは対面で楽しく話していたりもしたけれど。

今なら、問題になるだろう。人を追い詰める性質の人は存在する。そして、その人に隠れて、結構傷んでいるだろう人も。
人によっては極端な方法を選ぶかもしれないくらいの人だった。

母が、

お母さん、言いに行ってあげよか?

と言ったほどのこともあった。

大先輩から、

叩きたいんやろ?言いに行けや!

と言っていただいて、大きな講堂の隅で、皆の面前で意見したこともあった。

当時の私は、怖かったんだろう。
同じパートの先輩は、その指揮者の先輩と懇意で、何か助けてくれるどころか、指導してくれるどころか、いつも嫌なことばかりおっしゃっていた。
ものすごく優秀な先輩と同じ仕事を、ずいぶん長い間誤解していたというほど。
だから、そちらのご出身の方には、

すごいですねー。

と言わなければならない場面で、どうしても嘘をつけない私は、その言葉を出すことができない。
本当に申し訳なく・・・。

その極端なイメージは、同じ職業のほかの同級生や、こちらに来てから出会った、先輩と同じ大学のその職業の方や、同じ学校ではなくても、その同じ職業の方々の誠実さや優しさのおかげでなくなった。私はそういう、個別具体でなく、一種の類型論で語ろうとした自分を反省した。
そもそも類型論が大っ嫌いな人間である。

そう言えば、後に、未来の高校国語の教師相手に、論語でやり込めてくれた同級生もいたっけ。
大丈夫。私は絶対に彼らにお世話になったり、ましてや切ってもらいなどしないから。(笑)

ただただ、息子の命名で、仕方なく、先輩のお名前の一字を、思い切り妥協で、音の問題と画数の問題から、

まあ、ええわ。頭は悪ないねんし・・・。

と付けてしまった。
知っている人は、

ああ、○○先輩の・・・。

と私が、嫌っていることを逆に尊敬していると誤解しているだろう。

優秀なだけで尊敬などいたしません!
だって、私にその優秀さって、関係ないやん!
人を大事にする仕事に就こうとする人って、勉強だけでいいのだろうか。もちろんそれほど勉強しなければできないことなのだろうけれど。
やっぱり人間を思う気持ちをもってほしい。

そうして、私も含めて、あれこれそれぞれの人生を、いろいろ償いながら、実りもありながらそれぞれ生きているんだろうなと思っている。

公開:2025/10/21 最終更新:2025/10/21
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