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命名という愛情ー親御さんの思いを感じるー高岡の個別指導塾チェリー・ブロッサム

先日、期末考査対策として初めて指導をさせてもらった生徒さんのお母さまから、電話でお子さんのお名前をお聞きしたときに、

どんな漢字なんだろうなあ・・・?

といつものように考えていた。

あらかじめ見せていただいていたテスト用紙に書かれた名前を見て、

ああ!この字!?(具体的に書くことはできませんが・・・。)

と思い、この字を思いつかれるなんて、どんなにセンスのある方だろう?と感動した。

思えば私も娘と息子の名前を付けるときには、本当に頭をフル回転させた。
娘の名前は、母が私に、「まっすぐに」という思いを込めて付けてくれたのと同様な意味になってしまった。
卒論で扱った上田秋成の作品の注釈にあった、つまりは秋成もその思想を取り込んでいたのだけれど、「蓬はまがって育つが、まっすぐ育つ麻の中で育てればその蓬でさえもまっすぐ育つ」ということで、漢字一字を入れた。そして私の名前ともつながっている。このことは元職場の先輩だけが気付いてくれた。

実家にいるときにはそれほど自分がまっすぐした人間だと思っていなかったけれど、今は亡きお舅さんから、

真弓さんちゃあ、まっすぐした娘や・・・。

と言われたり、よく知っている方数人から、

今時あなたほどまっすぐした人、もっと自信をもつべきやよ。

と言われて、そうなん?と思わされるほどにまっすぐの意味が分かっていなかった。
なぜあろう。私は考え過ぎて、人を曲解するタイプの人間だと思っていたから。(笑)
考え過ぎとよく言われていたから。

でも、教育業界のあらゆるところを練り歩き?(笑)、開業するにあたり、夫が若いころによく言っていた、

温室育ちの純粋培養の世間知らずのバカ

ならしい私も、少しずつ世の中が分かり始め、ずいぶんと賢くなった。
まっすぐの意味も分かり始めたが、要するにご指摘の通り、バカだということだろう・・・、と思い至った。(笑)

確かに娘はまっすぐしている。し過ぎて周りとぶつかることも多くて悩んだ。

要するにまっすぐは生きにくいことではないか?

息子の方は、お舅さんから、

自分の一字を入れてほしい・・・。

とのことで、それもどちらかと言えば道徳的な古めかしい一字なので、かなり悩み、辞書と首っ引きで考えた。
今度はどこかで読んだように、

なんとすがすがしいことよ!

という意味にした。こちらも国文科をお出になったある人だけ、漢文読みを言い当てられた。

夫の上司の奥様にも、

漢字にしても、ひらがなにしても、アルファベットにしても素敵な名前。

と言っていただいた。

その後、老子の思想からいただいていたということもあり、

こいつ、水みたいな子やな。

と思っていた。人間関係を見ていると面白かった。親が言うのもなんであるが、上善の徳を思うときがある。

と名前に関しては、かなり頑張った私であったが、今回の生徒さんの名前にはうならされた。
正直、この字を当てる?
しかも歴史上のあの人の名前の読み方で、私も知っていて、有名な文学作品の中のあの方の字である。
これほどの命名があるだろうか?
私は目の前の生徒さんの顔を見つめながら、その命名のセンスを絶賛しながら、感動しながら国語の指導をしていた。

ということで、素晴らし過ぎた。感動した。

もう一つ。
今年の1月17日の阪神・淡路大震災の起こった日の前に、2020年に放映されたという「心の傷を癒すということ」というドラマを録画していて、そのドラマを観ることによって、安克昌という精神科医が、かつて神戸で被災者に対しての精神医療を施されていたことを知った。すぐに『心の傷を癒すということ』を読み始め、「100分で名著」でも一月に取り上げられたことを知り、すぐさまテキストを購入し、NHKオンデマンドで放送を観た。

あの日、高岡の父の手術のある日だった。
その日、家は社宅の雪かき当番のうちの一人で、身ごもっていた私は、夫に代わってもらわなければならず、つまりは夫を起こすために、みんなで寝ていた部屋のテレビをつけた。
大きな大きな地震が起こったことをテレビは告げていた。
信じられなかった。ふるさと大阪に近い神戸で、まだ教え子や同級生たちもたくさんいるはずだったし、母方の叔母も住んでいた。
でも、その日はお父さんのことが心配で、なかなかそっちに気持ちがいかなかった。
しばらくして、神戸と関係のある人には、知っている人の安否を尋ねる日々が続いた。

なんとその当時、私にとって、かなり大事だった人が神戸にいたのだということを数年前に知った。

今年、ドラマを観て、本を読んで、ちょっと学ばせていただいて、ほんの少しだけ、当時の被災地の様子を知ることができた。
私は少しばかり思いを寄せるだけで、何にも知らなかったし、知ろうと努力もしなかったし、積極的に何かをしようともしなかった。
我が身のことで悩んでばかりだった。

ということに今年初めてと言っていいほど、気付いた。

でも、安先生の「心の傷を癒すということ」は作家になりたかったという人らしく、文章が優しくて洗練されていて、スーッと心に入ってくる。
本当に精神医学に絡んだ本であろうか?というほどである。一種の文学書のようである。

私自身、国文科でありながら、心理学の専門分野の講義は出席可能なだけ出席していたし、何の差配でか、医学部の先生から「精神病理学」を教わる機会に恵まれたことがあった。関心のある分野である。

この時期に出会ったことには意味があるだろう。
先生が亡くなられる二日前に生まれることになる三人目のお子さんの名前を安先生が一生懸命に考える場面がある。
一生懸命思いを込めて。

お父さんの顔を見ることはなかったお子さんは、いつもお父さんに付けてもらった名前と共に、お父さんの愛情を感じて生きてこられたのだろうと思う。

命名というのは誠に親から最初の、素晴らしい愛の籠ったプレゼントであることを教えてもらった。

公開:2025/02/24 最終更新:2025/02/24
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