どうしても母校の進学実績と比べてしまう。予備校講師として?ー高岡の個別指導塾チェリー・ブロッサム
高三の夏、担任の国語の先生が、関東のほうに視察に行かれ、その感想を私たちに語ってくださった。
割と進学校の高校の話である。
母校の男子に限って話されて、
うちの学校は、進学実績が週刊誌に載ったりしてるけど、その実大方浪人。うちの男子なんて、一年目みーんな京大受けて一発玉砕。二年目阪大くらいに落ち着いて・・・。
男子たちがゲラゲラ笑っている。
その後の時間、私たち女子が井戸端会議のように集まって、
先生、めっちゃキッツいこと言うてたけど、男子、ゲラゲラ笑うてたけど、あれは度量が大きいんか、アホなんか、どっちやろなあ・・・?
なかなか毒舌である。
先生はその続きをお話になる。
その学校は、結構特色のある私学に進む生徒も多いらしい。青学とか。
なんで若い時期に、受験勉強なんて狭い勉強に時間を費やすのかなあ、という話で。
それは私の進路指導でもおっしゃっていて、先生の気分が悪くなったのを感じたこともあった。
同じく国語の教師を目指していた私には思うところもおありになったのだろう。
先生こそ、高校で出会った恩師と、一説には現役で入学されたのちに旦那様になる同級生を追いかける形で、二浪の後、母校から本当にスタンダードに、というより、ものすごく進学数の多い大学に進まれた方である。言葉には重みがあった。
今年の進学実績を、調べてみた。
京大は例年と変わらなかったが、大阪大学合格者は全国一位の79人。定員360人。ひところは320人に減っていたから、単純計算できないが、神戸大を合わせると
京大 32人、阪大 79人、神戸大 30人
となっている。数日前は、神戸大はもっと少なくて、阪大のほうが多くなったんだなあ・・・、と勝手に考えていた。
合計141人
かつては3分のⅠと思われたのが、いつの間にか4割になっている。
そういえば、その地区に住んでおられる人の話では、競争は激化しているとのことで、もしかしたら、当時よりもレベルが上がっているということも考えられる。
都会だから?小さい時からの競争がし烈だから?
理由をいろいろ考えてみる。
でも、富山県の場合、高校受験が都会ほどひどくないから、高校での伸びしろがあるともいえる。
人間的に、自らの力でものを考えられるようになってからの受験勉強のほうが、精神的成長には良いかもしれない、などと勝手な推論をしてみたりする。
いろいろ考えさせられた高校時代だった。
進学校だとは言え、思い切り青春があったし、常識の範囲を超えて?(これが常識から外れられない私にはちょっと一番嫌だったかも?)ということなら、青春時代のなにもかもがあった。
もっともっと何かを考えている人たちの集まりだろうと勝手に理想化し、入学してみたら、全然思っていたところとは違って、
そんなん考えてたらやっていかれへんやん・・・。
と言われていたりもした。(笑)
将来国語の教師になるのに、考えなくてどうする?という思いもあったけど?
いろいろ考えさてくれた母校の進学実績を、さてどう分析する?
でも、最近知ったのだけれど、男子だったら?その進学先は、あまり嬉しくなかっただろうと思われる先輩の活躍にも目をとめていたり、なかなか懐の深さも感じる。
なんと最高裁である組織を有罪にもっていったということで有名な弁護士さんは、母校のご出身。苦労をされて弁護士になられ、北日本新聞や北國新聞でもその訃報は取り上げられていた。
大阪大学が一番多いというのは、その性質を大いに表していると思われる。
高2から受験のことを話すなんて、ちょっと・・・、という雰囲気もあったし、他校出身の人からは、
茨校は大阪でも田舎のほうやから、まあ僕らからしたらのんびりしてる・・・。
などと半ばディスられたこともあった。
なんだか、進学校に教室からも進学するし、その後を考えるにあたって、数年前からやたら母校の動きを見てみたり、その校風について考えさせられてきた。
最近、どうも母校のイメージが変わってきている。
おそらく勉強だけではない、いろんな要素をたくさん含んだ学校何だったんだと思う。
体育祭も有名。
それに、少々劣等生になったからと言って、手を掛けないわけでもないし、授業に出ない生徒にもどこか温かかった。
それに遠く大阪から離れた富山県にいるというのに、ちょっと話せば、
ああ、茨校の友達いますよ!めっちゃ優秀ですよね!
と言っていただくことが多い。それはどの大学で話題になってもそういうことになっている。
言葉は優秀ということになっているけど、そうではなくて、ブルドーザーみたいな人が多いのだと思う。
部活も先生方は全く関与なし。顧問も活躍している部活もあるかなあ・・・?程度。
生徒会執行部に統括される部活動は、生徒会執行部が成立されなければできない。
要するに自治である、生徒の自治。
だから、赴任されてきた先生が、さて、何をしよう?と考えられていたら、ずっとおられる先生から、
先生、ここの子、全部自分でしますから、何もしなくていいですよ・・・。
と言われたというエピソードがあったという話もある。
どこかで日本一変わった学校という表現も聞いたことがある。
うちの生徒たちには、私の黒歴史時代だという話になっている。
本来なら褒められた母校は、私にはそうでない面がある。
その後生活指導をしていた私にとって、許しがたい事件がいくつかあり、どうしても自己矛盾を起こしてしまうのである。
大学は自己責任だから、まあ、何をしていたとしてもまあまあ。
でも、高校時代のことを考えると、どうしても自己矛盾に陥ってしまう。
進学実績などからだけで語ることのできるシンプルさが欲しい。
そうして、何かと言うと、誰でも、
あの、ノーベル文学賞を受賞した、川端康成の母校ということで語ることになっているような気がする。
そうしておけば、とても便利である。(笑)
でも、これはほかの人とも同じ見解であったのであるが、母校の旧制中学を、どうもお好きではなかったみたいな気がする。というより大阪時代を、というべきかもしれない。
そうして、最近は、国会をにぎわした?人もおられれば、あの会社?という会社の取締役で有名になっていた同級生がいることが分かったけど(ちなみにまだその運営されているお店でお買い物をしたことはない。)、その一人は新入生の合宿で同じ班だったし、その一人は、高1のときは、体育祭で同じ仮装チームの先輩だったのに、アメリカ留学後、高三のときには同じクラスにいて、体育祭のマスゲームで同じチームだったし、卒業旅行は一緒に行って、
鯖寿司食べたい・・・。
と言っていた人として覚えており、大好きな鯖寿司を福井で食べた時も、最近富山で買って食べた時も、その彼をなぜか思い出し、その旅行の帰りに、その彼のお家にみんなで寄らせてもらって、お母さんの手作りのケーキをいただいたけど、その彼は、私の中学時代の友達を振ろうとしているという悩みを語っていたので、幾分憤慨していて、柄にもなく強い口調で非難めいたことを言っていたことまで覚えていたりする人である。
最近混乱している。
あの時代を思って。いやいつも混乱してきた。
すっきり良いものとして考えられなくて・・・。
とはいえ、イメージとは全然違っているような気がするところ、私の狭量さで、ゆがんで思っていたのかもしれないとも思う。
富山県地元の高校に勤めていた時、テキスト会社の人が、話し掛けてくださった。
ぼく、茨校にも行ってましたよ・・・。こないだ、○○高校行ったら、○○先生いてはって・・・。
大阪出身であることを否定して生きていた時代のことである。そうしなければ生きていられなかった時代のことである。その○○先生こそ、高三のときの担任の国語の先生のことである。
ぼく、○○先生の家にも行ったことあって・・・。また、そういうフランクな先生やから。今もおんなじとこに住んではるんとちがうかなあ・・・。
まるで連絡されたら?みたいな感じで話された。