数学を解くことで、培われる力。ー国語や英語との対比もしてみて。
私は中学時代、数学が一番好きだった(ということを思い出した。)。
そのことを思い出させてくれたのは、今年の中3生の数学オタクのような生徒のおかげだった。
入塾当初から、数学の問題を出してきて、これ、どう解きますか?
一緒に解きましょう!
と言って、ある意味挑戦してくれたのである。
彼のおかげで、私は当然結構難問にも挑戦するようになり、かつての、粘り強く数学の問題に取り組んでいた頃のことを思い出したのである。
国語は、別に勉強しなくてもできたので(最低限の漢字練習や、言葉の意味調べはした。)、授業中は頭を使っていればよかった。
英語は予習して、単語練習をしていればそれでよかった。
数学は演習をしておかなければ、身に着かなかった。
努力した分、愛しい教科でもあった。
その代わり、努力しなければ0だし、自分の中に入っては行かない教科だった。
数学大好きな彼を見ていると、当時の私がそれほど国語を愛していたかどうかはわからないが、彼が数学を真剣に愛していて、解くことが楽しくて仕方がないことがわかり、彼にとっての数学は、私にとっての国語みたいなものなのかなあ、と思わされる。
私も実力テストの国語を解く時間は、単純に新しい文章と出会える、楽しくてたまらない時間だった。
彼を見ていて、いろいろな発見があった。
その発想力。自由なふるまい。やりたいことに躊躇しないところ。
私にも思い当たる点がたくさんありもし、理解もできる反面、それではいけない、ということを何度か伝え、何度か彼は反省もし、それなりにしたって着いて来てくれた。
そして、こちらも、彼の姿から、教育の在り方、受験というものを、再度考えるきっかけをもらった。
今、私は、スティーブ・ジョブズの伝記を読んでいる。
かつて、ある高校でホーム・リーディングの課題として出され、私はその文章の前半を読んでいた。
正直、小耳にはさんだ程度の知識によると、私はジョブズが好きではない。
確か新聞のコラムか何かで、アップル追放の憂き目にあったジョブズがアップルに呼び戻される(合ってるかな?)というビジネス上の話で、私はそういう立場を自分が受け入れられるだろうか?という面から考えたことはあった。もちろん心情的に。
そのうち、ジョブズの死があり、同僚のデスクに自伝が載っているのを見て、ああ、いつか読んでみたい、と思っていた。
それに、性格診断をして、私にも、ジョブズのような性質があるらしいことを知り、余計に知ってみたくなったのだと思う。
今も読んでいる途中だけれど、自分の中にもあるけど、それは私は克服しましたけど?というような破天荒な、常識はずれのところばかりが目に付く(ちなみに今は、彼女に赤ちゃんができて、自分の子どもかどうかDNA鑑定させ、自分の子どもであることが間違いない、とわかったけれど、その後にもあれこれあるところ。)。こんな人と(ビジネスであるとか、エンジニアとしての成功はともあれ。いや、成功だけを見つめたとしても、)一緒にされるのは正直嫌だ!と叫びたい。
もう少し読まなければ、どこに同じ特性があるのかわからない。
でも、数学が大好きな彼と出会ったから、私はこの本を読んでいる気がする。
今、読んでいる気が・・・。
日本の教育が幾分型にはめる方向に流れていること、それを意識しながら、抜本的に何かするような動きもないこと、それに、日本人はやはり、決められた中で行動するのが得意なように思われること、などなどあれこれ考えさせられた。
私もかつては型にはめられることがしんどかった。
本質的に自由人なところが私にもある。
かと言って、真面目でないか?と言われたら、そうでもなさそうである。
仕事などは、結構自由に、融通を効かせてやってきたところがあるし、スタッフにもそれを許しているところがある。
それぞれの裁量は認める。
ただ、根本的なところのつながりと持っていてほしいとは思う。
大々的に掲げてはいないものの、教育に対する理念について、である。
だから、今年度は、開校初めて、誰の力も借りずに、全部自分が指導してみた。
どうなるのだろうか?
その方が納得いくのだろうか?
まだ年度が終わっていないので、結論は出てはいないとは言うものの、今年は原点回帰の年だった。
正直やりやすかったし、生徒さんを見る目も、確かだったと思う。
最初、少し寂しかったし、頼りなくならないか、心配でもあったけれど、ある意味逆だった。
あれこれ考えさせられた年だった。
数学については、まだまだ描きたいことがあるので、つづく・・・、ということで。