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中間考査対策の中で出会った本ー『帝国ホテル厨房物語』

先日、高校生の国語の指導をしていて、教科書を読んでいたら、素敵な文章に出会いました。

帝国ホテルで長年働いていた、フランス料理界の重鎮であった、村上信夫さんの文章でした。

すぐにAmazonで文庫本を注文しました。
日経新聞の、あの有名な「私の履歴書」に連載されていた文章が単行本になり、相当な人気だったらしく、文庫本にもなっていたのでした。

筆者は、可愛がられた少年時代を経て、今でいう小学校六年生の夏から秋にかけて続いて両親を結核で亡くします。
折しも、暮らし向きがちょうど悪くなっていたときのことで、妹とは、別れ、親戚に預けられ、仕事を始めます。
時間のある時には学校に通わせてもらっていたのに、卒業式に出てみると、自分は出席日数が足りず、卒業証書がもらえず、本当に悲しかった、ということでした。
仕事をさがすときにも、縁戚だから特別扱いされるところや、先行きが明るくなさそうなところを避け、父と同じ料理の世界に踏み込んだのでした。

小学校を卒業してもいない、小僧さんでした。
小さな小学生(体格は大きかったらしく、態度も大きかった、などと書かれていますが。)が、小学校も出ずに働き始める。時代もあり、そうそう珍しくもないことだったのかもしれませんが、あの世のご両親は、どんな思いで見守っておられたことでしょうか?

文章全体から、筆者の一生懸命さ、前向きさがにじみ出ていて、しかも、どこかシャイなかわいらしさまで伝わってきます。
一途だからこそ、何かチャンスがあったら、何にも考えないで、もう、さっさとつかんでしまう。そんな素直な人だということもじんわり来ます。
若いから、そうしなければ生きていけなかったから、ということもあるでしょう。
でも、お写真からうかがえるその体格と共に、どうもとんでもなく器の大きな方だったように思えてなりません。

不思議なご縁で帝国ホテルに勤め、努力の甲斐があって、周りからも可愛がられていて、しあわせな日々を過ごすものの、出征することになり、死ぬ覚悟で戦地に赴きます。
でも、どこか、戦地での描写も、生死の境にいるにもかかわらず、どこかユーモラスに描かれていたりします。
無事生還したから、と言ってしまえばその通りですが、どうも、周りの人への愛情が、あらゆる工夫となって、人を和ませる才能の持ち主だったようです。シベリア抑留も経験し、帰国するまでには、何度も延期になり、5年半もの歳月を要したのでした。

この本を読み、感じたのは、やはり、仕事が人を育てるのだなあ、ということです。
小学校卒業すらしていない小僧さんが、一生懸命頑張って、名門の大学を出た社長の目に留まって、役員にまで上り詰める。
ご本人は運がよかった、と何度も書かれていますが、運を引き寄せるのも努力や人柄のためだったのだなあ、と思います。
それが証拠に、漢字が書けなかったほどだったのに、見事に素敵な文章を書くまでに教養を身に着けられ、また、お料理を食べにいらっしゃる方々とお話しできるようないろいろな学びをされたのだなあ、とつくづく仕事への情熱のすばらしさを思います。
どこかお茶目でシャイで、前向きで、人から可愛がられる要素が満載の方のようです。
もうお一方のカリスマは、むしろ、俺についてこい!というタイプだったようですが、井上信夫さんは、周りとの協調を大切にされ、また、料理業界での、改革を大胆に推し進めるお力もあったようです。
調理好きの私にしてみれば、当然心惹かれる文章から始まっていたのですが、あんまりそういうことを考えたことのない私が、お金を貯めて、素敵なお洋服を着て、帝国ホテルに泊まって、素敵なお料理をいただいてみたい、と思ってしまったほどの素敵な文章でした。

人生を謳歌する、というのは、こういう人生なんだなあ、と井上信夫さんの一生は思わせてくれます。
学がない、を学がないままにしないで、勉強する。
学歴がないせいにしないで学ぶ。
自分の興味や関心のあることには徹底的に学ぶ。工夫する。
まわりの人のことをいつも考える。

この人が、とうとう役員になり、経営陣に入っても、コート(コックの着る白衣)を着て出席していた。コートを着ていないとまともに意見が言えない、だなんて、ある意味、とても純朴で可愛らしくもあるエピソードです。

この人の前に、どんな言い訳も通用しないなあ、と思いました。
かつて、「イチローなんて大嫌い。」というCMがあり、努力で何でもする人って、こちらに言い訳をさせてくれない、という意味で、努力を称えていましたが、井上信夫さんにも同じことが言えそうです。
しかも、誰にでも好かれて・・・。(笑)

素敵な本です。
さわやかな気持ちにさせられます。
ただのサクセスストーリーとは言えない、すがすがしさのある本です。
正直、オススメです。

公開:2021/05/13 最終更新:2021/05/13
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