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数学と音楽と私の関係性の変化ー精神的な問題として。

高校時代、パーカッションパート担当だったけど、正直うまくなかった。
堅くなっていた。
おとなしかったし、どちらかというと人と対立することが苦手だった私(当時、同級生の友達からそのせいで、「八方美人なとこあるんかもしれへんなあ。」と言われていたりした。)は、超絶怖い先輩がおられて、本当に身体が固まっていたのを覚えている。
怖い、というよりも、その人を嫌っている自分を見たくない、という方が正しかったのかもしれない。
今でも、誰かのことを嫌いになるのは、結構怖い。
誰かを嫌うくらいなら、自分の考え方や思い方を替えたい、というようなところがある。
そして変な努力をする方向へと走っていた。
友達も、私が打楽器をうまく叩けない時に、先輩から強く注意されていたとき、
あれってさあ、性格の問題とちゃう?
と指摘してくれたことがあった。
要するに音楽性などというものよりも、それ以前の性格的
つまりは怖がったり、人前でびくびくしたり・・・・、ということだったのだ。
これには納得した。
それと同様、結構クラスにたくさん人がいる教室で、予習していても、答えるのがドギマギしていて、
予習しているのに、していないように思われるよ・・・。
と友達が言ってくれたこともあった。

どちらも今では考えられない。
もしパーカッションを演奏する機会があったら、思い切り効果的になるような演奏をするだろうし、数学の問題を解くのも、それを発表するのもおそらくはノリノリでやるだろう。
いったいなんだったのだろうか?あの時代。

ある教科が苦手だと思っていたり、何かをすることが苦手だと思っていても、その実、その教科に問題があるのではなくて、自分の気持ちに問題があるということもあるのではないか?
チェリーでは、教科が苦手な場合、そういう面からもアプローチする。
成功回避をするお子さんもおられるし、失敗してきた体験から、それが習い性になっている場合もあるだろう。
伸びない場合はそういうことも含めて考える。
なぜなら、経験的にそういうことがあるということを知りつくしているからである。

公開:2023/02/17 最終更新:2023/02/17
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