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京都大学の英語過去問から、飛び上がるほど素敵な表現・・・。

大学の編入試験の指導をしていて、当然過去問が足りなくなり、ほかの英文から学ばせていただこうと、先日は京都大学の過去問を英文解釈の問題として使った。
だいたい現代文にしろ英文にしろ、素敵な文章に出会うと、私はとんでもなくしあわせになる。
あああ、教材を貸してしまったので、今、その英文そのものは手元にないけれど、とりあえず、絶対温度の名前の由来となったケルビンが言っている。
ある事柄を数字で表現することができないのなら、その人の理解はお粗末で、尚且理解が十分とは言えない。
ああ、これこそ数学でものを語ろうとする人の考え方である。
ちなみに、私たち言葉を商売道具にしている人間は、とかく言葉で定義しなければ・・・、と焦る。

常々、生徒たちに、
数学というのは、一番シンブルで美しいストーリーなのよ!
国語と数学がつながってないなんて言わせないからね!
と語っている私にとって、ケルビンの言葉は、まるで、
そうやねん、そうやねん、それが言いたかってん!
という表現そのものであった。
数字は嘘をつかないし、ある程度公式にできる。
その潔さが数字、強いては数学の魅力である。
そして、どうも明快でない感覚的なものを言葉で表現するとき、なんともホッとするときがある。
それを何とか言葉で定義で来た時の喜びったらない。
それは誰かの性質とか、受ける感じだとか、どういう人から好かれたりモテたりするタイプとかなんでもいい。
とりあえず表現したい。

その、数字いついての理解をケルビンは、本当に上手に表現してくれている。
英文で読むと日本語よりもより簡明にわかる。
やはり言語の性質がより上手に表せるということもあるのだろう。
こういう美しい表現に出会うと、ああ、生きていて良かった!生きることは素晴らしい!と感嘆してしまう。

公開:2023/06/12 最終更新:2023/06/12
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