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自分の人生

一応、経営者である。
あくまで一応。
早く、誰かに経営を任せて、一講師に戻りたいという贅沢な夢を持ち続けて来て、早5年が過ぎようとしている。

実は、2018年度は、人知れず経営者として、動かなければならないことが多く、一方、嫁に来てからというもの、こんなに実家に里帰りしたことがあるのか?(お産のときを除いて。)というほど、大阪に帰る機会が多かった。
しかし、講師としても、国語に加えて、英語は言うまでもなく、数学、社会や理科(なんだか、中学生には特にウケがよく。)まで教えだし、もう、専門が分からない、自称浮気女度を増してきているのである。
まあ、大学に教えに行っている段階で、国文学ではないのだから、もう、それで、「立派な浮気」は成立していたわけであるけれど・・・。

私には、国語の神様がどうもついている・・・。
小学校二年で、国語の力を見出され、私は算数の方が好きであったにも関わらず、しかも、国語なんて曖昧な教科やん、これ以上勉強したら、のつのつするわ・・・、という教科だったにもかかわらず、中学校に行っても、「国語だけはお前にかなわん・・・。」と秀才に言わしめ、高校に行っても、「どこを受けても、国語は大丈夫・・・。」とさぼっているのを見抜かれる要素となる原因となってくれた教科であった。特に現代文が好き、となれば、さぼってもバレバレ・・・。
というか、あんまり高校時代、モチベーションが上がらない要素がたくさんありすぎたのだと思う。
ほっと息つく教科ではあるけれど・・・。

母校に行きたかった理由は一つ・・・。
人間があまり好きではなかったのだと思う。
だから、あれほど人がやかましく言ってる学校なら、それなりに、魅力的な人が多いだろう、という理由で、中学校は頑張った。ランク的に、あくまでランク的に、一つ下げれば、あまり伝統がなかったし、おまけに標準服しかなく、制服がないというのは致命的な、行きたくない理由だった、と思う。
行ってみたら、皆様、本当にごめんなさい、たいして、感動がなかったのである。
普通以上の何があるのか、わからなかった。
むしろ、中学校のころのほうが、できた人多かったなあ、と思ってしまって、2週間くらいで、ちょっと嫌になったのを思い出した。
そんな状態だから、さほど行きたい大学も見つからず(ちょうど、昨夏、同じことを言い出した生徒さんがいた。彼は、しっかり全勝した。)、どうすればいいのかわからない日々を過ごしていたような気がしている。
当たり前だろう。みんなが、勝つことを目指していくような学校じゃないか・・・。
二年のときの担任の先生が、おっしゃっていたそうである。
「ここに来たら、勉強するのが運命なんだ・・・。」
私、勉強は嫌いでないんですけど・・・?
でも、中学校の頃のあの、努力は無駄にしたくなかった。
人がどうであれ、勉強自体は嫌いではなかった。

が、しかし、後年気付くことになる。
○○だから、○○、なんて場所はどこにもないんだって。
新しい場所で、いかに自分が、そこに合わせていけるか、ということなんだ、ということに。

○○に行ったから、だから、合う、ということも、あるいは、楽、ということもあるだろう。
けど、自分にぴったり合った場所なんてあるはずがない。

あるとき、悩んだのである。
先生とこ、優秀な生徒さん多いんじゃ、ありませんか・・・?
優秀?
正直、そんなこと思ったこともなかった。
もしかしたら、得意なレベル、というのが、自分では気づいていないだけで、あるのかもしれない・・・。

それで聞いてみた。
まずは、秋田の、「富山県高等学校名鑑」の担当さんに。
あのう、優秀な(レベルにおいてだけれど。)生徒さんだけ教えたほうがいいのか?と思って・・・。
私、勉強が好きでない子の成績も上げてきた経験、あるんですけど・・・。
私、という教師を使うのに、どうしたら、生徒さんにとって、コスパがいいでしょう・・・?

この、私がよく指摘される、「なんで?」のために、私は、子どものように質問した。

そうしたら、「私は、誰でも先生のところになら行ける。うちの子でも行けるんだ、と思ってもらえる塾であってほしいんです。電話してても、先生とこの雰囲気、すごくわかるんです。親として、私、失敗したなあ、と思うこと、たくさんあるんです。学校でも家でもホッとできなくても、先生ところだと、生徒さん来たがってるのがわかります・・・。」
そうそう、私、子どもたちには、家で、ゆるゆるさせていたなあ。だって、外で大変なのわかっていたから・・・。
でも、予備校講師をしていた経験から、「こら、偏差値、伸ばさんかい!」という面もあって・・・。
もう、どうしたらいいの!?
と思って、仲の良いお母さま、数人にお聞きしてみた。
「確かに、勉強、そこそこできる子だと、先生は楽ですよね・・・。」
「私だったら、勉強できない子に、学ぶ喜びを教えてやるの、面白いな・・・。」

もう、どうすればいいのだろう・・・?

最後の極めつけは、「先生、たしかに、国語を教えてもらおうと思って入れたら、ああ、レベル、高っ!とは思いましたが・・・。でも、どちらかというと、先生の価値観と合った生徒さん、というのが、成績よりも、その答えになるのでは・・・?」と言われて、気付いた。

私は、人間的な力の上に、勉強をしてもらいたいのである。
勉強だけ、というのは続かない。
仮に、高校受験は何とかいけて、下手すれば、大学受験も何とかなって・・・。
でも、絶対に試験に強い子、っていて、そういう生徒さんって、みんながうなずける何かがある。

テキスト会社の担当さんがおっしゃった。
先生みたいなところ、あんまりないんです。
絶対、将来、社会人になったとき、ありがたみがものすごくわかると思うんです・・・。

ということで、面談で、いいな、と思われる方なら、やっぱりどなたにでも来ていただける教室でありたいと思います。
どちらにせよ、楽しよう、などという、考えは捨てたいと思います。
別に楽、というわけではないのですが・・・。
だから、少しでも難関に入ればOKとは考えないかもしれません。
でも、勉強を通して、自分と闘う力を培って、闘い抜いて、志望校に入ってもらいたいと思います。
周りに愛情があれば、厳しいこと言っても大丈夫。
今年は、憧れの先生を見習って、ビシバシと行きたいと思います。
折衷案のように・・・。

ここ数日の、母校を思い出しての涙を無駄にしたくない。
若い頃の栄誉は、簡単に手に入ると思う。
でも、自分の脚で歩いて、自分で自分の人生を切り拓く力を培ってほしい・・・。
だから、本番に強い力を身に着けてほしい・・・。

たった一つ言えます。
私は、何かに本番に強かった。
ここ一番!というときに強かった。

高校受験、大学受験、採用試験・・・。

どんなに勉強しても、入れないときは入れない。
そんな友人を目の当たりにした。
また、なんで?という人が、まるで、日々の行いか?というような、ものすごい栄冠を勝ち取ったような、そんな受験も見た。
部活さぼって、さんざん人に迷惑かけて、勉強を理由に、同情買って、結局、そこに落ち着くの?という受験も見た。
その尻拭いをしながら、さんざん怒られもしたなあ・・・。

そんな無責任な人の、当然な結果を、ある意味いくつか見てきたから、私は怖いのかもしれない。
自分の生徒が、無責任な生き方をするのが・・・。

でも、経験は、自分に力をくれて、別に損は、誰もしない。
きちんと学べるようになっている。
そうして、自分がしたことの巡り合わせは、ちゃんとやってくる・・・。
だから、自分は、そのときそのとき、正しい生き方をして、そうして、正しい生き方ができるように、愛する生徒さんたちを育てたいのだと思う。

公開:2019/03/09 最終更新:2019/03/09
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