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考えていたこと

合格とか不合格とか、そう言ったことを悩んでいたのではないのだけれど、どうも、ここのところすっきりした気分になれず、私は、あちこちを、さまよっていたような気がする・・・。
なんか教育とは違う視野から、何かが見えてこないかなあ、と。

昨日、学校の先生方の異動が発表されていたのを見た。
その中に、FBで、友だち申請してくださった方のお名前があり、「ああ、教育の世界の人だったのね!」と納得し、ご連絡した。そうとわかれば、これから教育の話ができるわ・・・。

メッセンジャーで、メッセージを送る・・・。
返信が来ない・・・。
あれ?

よくよくプロフィールを拝見すると、金沢勤務?
違うやん!
富山県の先生と違うわ・・・。

で、お詫びのメッセージを送った。

それがきっかけで、いろいろお話していたら、その中に、「学校現場であれ、なんであれ、先生と呼ばれる人の背負っているものは、○○とは違います。」という表現があった。
ああ、わかってくれている人もいらっしゃるんだ、と思った。
先生と呼ばれている間に見えなくなるものがあるのではないか、といつも危惧していた。
教室以外の、仕事と関係のないところで、先生、と呼ばれたくない自分がいる。
けど、いつも、頭の中は、もちろん生徒や保護者のことが大半を占めている。
これは、褒められた話ではないけれど、仕事に差し支えるから、ご飯食べておこう・・・。いい指導ができなかったら困るから、眠ろう・・・。
うまく自分を使うためにメンテナンス・・・。
数学の時間に頭が回らなくなったら、困る・・・。
できるだけ疲れた顔を見せたくないから、明るい色を選ぼう・・・。

すべては仕事中心に回っている。
仕事の中身を分かってくれている人がいる・・・、というだけで、なんだかホッとしたのである。

結果に囚われて、何にも伝えられなかったのではないか?と悩んで、Y先生にご相談したら、「いやあ、よくやってると思うよ。ぼくはそう思ってみてるんだけどね・・・。」と言ってくださった。
そうして、ヴィオラとピアノの合奏のための楽譜を置いて行ってくださった。

ここのところ、あれこれお話をお聴きして、自分を肯定的に見ることができなくなっていた・・・。
自分が、何かを言われた、とかではなく・・・。むしろ、そのお悩みの内容に、こちらが悩んでしまったというか・・・。内容ではないなあ。その感じ?
何かを言われたのなら、何かを言うことができる。
そうではなくて、自分が自分の教育の在り方を、考えてしまったのである。

世の中の流れについていけていないのかもしれない・・・。
とまで考えてしまった。
ではなくて、これから、先生みたいなところが必要になってくると思います・・・、というのが、周りの皆様の意見ではあるのだけれど・・・。

公開:2019/03/28 最終更新:2019/03/28
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