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数学と私・・・。

 最近、高校数学と取り組んでいて、あれほど苦手意識があった数学を楽しんでいる自分がいて、あれっ?となっている。
中学時代は数学が好きだった。下手したら、曖昧な国語より好きだったかもしれない。国語はあっちが好いてくれただけ、の教科だった。大体、勉強する対象とすら考えていなかった節もある・・・。同世代の人はたいていそうかもしれないけれど・・・。

 いつか、この数学嫌いを克服したいと思ってきた。
 それなのに、指導を始めて、というより、ちょっとお付き合いしてみたら、なんてことなく解けて来て(もちろん、分からないところは誰かに聞く。)、あれはいったいなんやってん!?と思っているのである・・・。
 この事態を、考えてみた・・・。いや分析かな?
 
 文系、理系を決定する。高1の二学期に、もし数学ができていたら、私は、理系に進んでいたかもしれない。人間に関心がありすぎはするけれど(人間を好きでない、ということも、当時は含めて。)、学問として、新たに何かを学ぶ、ということで言うと、そりゃあ、理系科目の方が、新たなことにチャレンジできる。先年、化学の先生に、「櫻井さん、理系です!」と叫ばれ、物理の先生に、「絶対、理系の頭ですよね・・・。」と言われ、ある隠れた才能診断・・・を受けてみたら。なんと数学的論理的思考・・・、というのが出てきたのである。
 そこで、リケジョになれたのにー!とはならないのが私である・・・。コツコツ努力するのが好きなタイプであることから言っても、研究?に向いていなくもなかったかもしれないとは思っても、理系に進学できたらよかった!とはならないのが私である。

 もし、あのとき、理系に進んでいたら、国語の、あるいは文学が専門の私がいない、理系で文学は趣味です・・・、なんてことが想像できないのである。
 文学部出身の国語の教師である分、教育学部は除くほかの学部出身であるよりも、ある意味国語の教師であると思っているのである。それほど国語の教師を除いての自分を自分でも語れないほど、もう、国語は私の分野である。
 だから、もしかしたら、高1のとき、たまたまひととき、数学に追い掛け回されていたことが、悪いことではなくて、「お前は国語!」と道を間違えないで済んだ、ありがたーいことであったように思えるのである。
 だって、今は、役立つ程度には、数学も戻ってきたのだし・・・。
 学校現場を離れてよかった最大のことは、教える教科が、教員免許を持つ国語科だけではなくて、どんな教科も指導できるということだ。予備校だって、せいぜい英語か社会までだろう・・・。だから、今、ある意味、教師としてはおいしいところをいただいているような・・・。とはいえ、大講義をしたかったり、あるいは教室一杯の何十人の生徒の前で授業したい自分がいないというとそれはそれでウソになるかもしれないけれど・・・。でも、一人ひとりと、共有する内容の深さから言えば、当然に今は、面白いことができている、と思う。

公開:2019/04/13 最終更新:2019/04/13
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