ブログblog

憧れの蓮の花と対面してきました。初めて・・・。凛として優秀な蓮。

写真や投稿を拝見する形では蓮の花を見たことはたびたびあったのですが、実は本当に自分の目で見たことがないことに気づき、昨日、facebookのお友達が投稿されていたことから得た情報から、今度のお休みの日に行ってこよう!と思っていたのですが、もう最盛期は過ぎていて、咲いているのは数日だろうということで、急遽、今朝早起きして行ってきました。
上市町神田地区です。
ふつうこんな風に咲くものなのか?というほどの贅沢な咲きっぷりで、たくさんの蓮の花が咲いていました。

国語の教師とすれば、古文でも登場もすれば、その性質についてなら漢文に詳しく書かれていたものを読んだことがあるので、興味も関心もあるお花でした。

普通の植物ならば、花が役に立てば種は無用で、幹を使うことができたら葉っぱは無用で・・・、ということがあるのだけれど、蓮だけは、花も種も祭祀に使えるし、種は薬にもなり、花は美しく、根っこはレンコンとなり・・・、と使えないところがないという優れた植物なのだそうです。たしか、種は解熱作用もあるようですし、滋養強壮にも効くようです。
出処進退も知っているかのように、温かくなってからゆっくりと成長し、寒くなる前に、無理をしないようにする。
まるで人間のそうあるべき姿を表しているような蓮の花を敬愛している、という文章を読んだことがありますが、そのことを知り、私もまた、蓮を敬愛してやまなくなりました。
しかし、とにかく私は蓮を見た記憶がなかったのです

それに、蓮が植わっている、その泥水が、ドロドロであるほど、美しく咲くのだそうです。
今日の蓮は、地面に植わっていましたが、その辺のことはあまりよくわかりません。

蓮は泥より出でて泥に染まらず
という日本人になじみ深い中国の成句があるそうです。

いろんな困難や嫌なことを乗り越えて、美しく凛としている人のようで、気品のある姿に、すべてを呑み込む包容力と、芯の強さを感じる花です。

こんなにも美しいんだな。
それも、夏空と真っ白な入道雲にしっかり映えています。

思い切って出掛けて良かった、と思わされる素敵な出会いでした。

今は、困難なことを嫌い、避ける風潮にあるようです。
楽しんで稼ごう!みたいな話が溢れています。
でも、実際は、その人たちだって、たくさんの努力をしています。
ただ、周りからの理不尽なことからは避けられる・・・、と考えた方がよさそうです。

しかし、年を経た今考えてみれば、その当時は通り抜けるのが大変で、毎日が精一杯で、どうすることもできないような、ある意味の理不尽さの中で、自分自身の考え方を変え、そして、思考のフレームを変えていくことで、自分が成長できたことはたくさんあるように思います。
若いころの苦労は買ってでもしなさい、という言葉を鵜呑みにばかりしているわけでもないのですが、それでも機会があるのならば、出会っておいて損はないと思います。

私はよく、あの高校時代があったから、とか、新卒で勤めた学校勤務の時代があったから、乗り越えらえた、ということがたくさんありました。
なんとか乗り越えることができたから、何かあっても、まあ、なんとかなるだろう・・・、どこかに解決の糸口があるだろう・・・、という気持ちで過ごして来られたと思います。小さいことで言うなら、自治会の行事などです。
それは不思議な体験もしました。
それだけ一生懸命にやるなら、まあ、というようなタイミングにも恵まれました。
小さなことにも感動があるものです。

なんだかうまく行く人は、結局裏でめちゃくちゃ努力しているということ、に尽きるのだと思います。
この蓮を見て、私は、結局、何か結果を出すには、人知れず、大変な思いも必要だと思うのです。
ただ、その大変さを乗り越える過程で、自分の気持ちを、前向きなものにするか、後ろ向きなものにするかで、結果は大きく変わってくるのだと思います。
思いなど関係ない、という向きもいらっしゃいますが、思いは行動に表れますし、表情にも出てきます。
いろいろ反省させられることもたくさんありますが、とにかく試練には、しっかりと立ち向かえる人間でありたいし、また、指導させている生徒さんにも、特に国語を通して、しっかりとその子言を伝えて行きたいと思うのです。
それに、年を重ねてからの試練というのは、そうそうなくて、やはり若いころに試練はやって来がちだと思います。
その機会を我と自ら失う人であってほしくはありません。

勉強だけではない、人間的な力を、文章を読みながら、伝えていきたいと考えています。

公開:2022/07/29 最終更新:2022/07/29
ページトップへ