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学習の仕方

楽器をやっていて、本当によかったなあ・・・、ということがあります。

先日、某進学校(呉東)に通っている生徒に指導していて、「ああ、これは学校でさんざんやりました・・・。」「これ、(中学校時代に通っていた)○○でやりました。」と言うのを聞いて、ああ、一つ一つ言わなければ気が済まないんだなあ・・・、と思って、「あのさあ、あなたって、今までで習ったこと、定着していなくても、習ったことある、ということを一つ一つ言わなければならないと思っているんじゃないの?その時間、もったいなくない?」と言ってしたのが以下の話・・・。

新婚の三か月を金沢で過ごした後、高岡で両親と同居する、ということになったとき、私にはもう娘がお腹にいました。
慣れない土地での私の気持ち、勉強が好きだったり、大切な仕事を辞めてきたことを踏まえて、お父さんが、「あんた、なんか、仕事でも習い事でも、ここの生活が楽しいなるように、なんか見つけられ。」と言ってくださって、かつて高校に入って辞めてしまったピアノで、試験を受験して、ピアノの先生の資格を取ろうと思っていたことを思い出し、そうだ!ピアノの先生になろう!と思って、通い始めることになりました。

確かバッハインベンションを習っていた時のことです。先生が、次、この曲をしましょう・・・、とおっしゃったのに、私ときたら、「これ、やったことあります。」と答えてしまったのです。先生は、「私とやったことある?」とおっしゃったのに、「先生とではありません。」と言ってしまったのです。
そこまで言われれば、今なら、「もう一度でもいいですか?」と言うか、それよりなにより、この先生からは何を学べるだろう?ということで、そんな発言もしなかったと思います。
でも、生意気で言ったのか?というとまたそれもまた違った感じで、自分の中ではご報告しなければ・・・という感じでした。

その話をしました。
先生につくってことは、仮に先生が間違ってるんじゃないかな?と思っても、素直に聞いて、とにかく行動したら、なんとかなるから、いい復習の機会だと思って、やっておけばいいのよ。全部言わなくていい、ではなくて、全部言わなければいけないとは思わないで、素直にやっとこうか・・・。これが今の縁だよなあ・・・、位に・・・。とお話ししました。

私は、吹奏楽ではパーカッション担当でした。
高校時代はドラマーでもありました。
おとなしかった私が、高2の文化祭でドラムをたたく姿を見て、その当時追いかけられていた数学の先生に、「ドラマー真弓、数学もできる!頑張れ!」と数学の答案用紙に書かれたくらい、反応のない、おとなしい子だったのです。
人見知りだし、決して明るい生徒ではありませんでした。中学校で、お前の笑顔が助けてくれたことが多かった(当時日本一有名な悪い中学校、と言われていました。)、などと学年主任の先生に言われたことはありましたが、明るい生徒というイメージではなかったと思います。
太鼓をたたいてはあんまりでしたが、大学で鍵盤楽器に出会ったとき、ピアノとは違うけれど、鍵盤で旋律があるのが助かってか、いつの間にか「鍵盤の○○」と言われるようになっていました。それは、何となくトレーナーの先生のおっしゃることが腑に落ちて、専門ではないから、余計に素直に聞けたからか、上達が早かったのです。

太鼓は、素直に実行することが、なぜかできませんでした。
もっと決定的に違う何かがありました。
でも、素直にやってみた鍵盤は、今でも時に演奏したいなあ・・・、と思います。

勉強も同じだと思います。
方法論もいろいろあるけれど、何かを見つけるまでは、あるやり方、ある参考書や問題集にがっつり取り組んで、やってやって
、それから○○のやり方、というのが分かってくるのだと思います。

そんな話をした彼は、最近、落ち着いて英文法に取り組んでいます。

公開:2019/09/26 最終更新:2019/09/26
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