ブログblog

夏です!受験勉強の天王山!ー努力することの楽しさ💛

生徒さんの姿から学ぶことの多い仕事ですが、もう何年になるでしょうか?
とんでもなく良く勉強する生徒さんがおられました。難関大に進学されたのですが、ある国語の授業で考えるための課題を投げかけました。

ねえ、私は一番になりたいという気持ちはわからない。ただ、一番になるために努力するのならわかる。でも、努力しないで一番になりたい人の気持ちはわからない。
と話したところ、即座に、
そんなの無理でしょ。努力もしないで一番になるだなんて。
とおじさんのように悟った顔してぼそっとクラス全員に聞こえるような声で言ったのでした。
全員から信頼されている彼でした。

いつ頃からだろう。
努力してきた相手にも張り合って、時にはマウンティングして、自分の方が偉いのよ、ということにしようとする人がいることに気付き始めました。
時には報われるとわからない努力はしない、と言ってのけた人もいらっしゃいました。

私は努力そのものが割と好きな方なので、そのあと結果がご褒美のように着いてくるのが楽しいのです。
結果だけを追い求める勉強は自分の勉強ではあまりありません。
ただ、お預かりしている生徒さんの場合は効率的に結果が出るようにとあれこれ考えて手を打ちます。
最小限の努力で合格するようにベクトルを合わせるのは当然です。
ただ、努力そのものを回避してはなりません。
受験勉強なんて、そもそも泥臭い努力の積み重ねでできています。
もう不器用にガンガン進めて言ったものの価値です。
不誠実はできるだけ避けたい。
受験においては、それまでの言動の精算もさせられるかのように、人にしてしまったことは良くも悪くも自分に返ってきます。
これは受験業界にいるもののある種共通認識。
我が子が可愛ければ、受験期はある意味身を清め、思考を美しいものにするのが得策です。
受験にはオリンピックと同じように神様がいるから。
私は何度神様の仕業のような受験指導の挙句の合格をつかみ取って来たかしれません。
いやいや努力もしないで、神様が動くことはありません。
でも、危ない受験であっても、こいつがこんなに努力するならもう合格させなくてはならない、と神様を思わせたのか?というような合格はあります。
ちょうど京セラ創業者の稲盛和夫さんが製品開発において、
おい、神様に祈ったのか!?
と思わず社員に叫んだ!というような話です。

親御さんが変わればお子さんが変わるのは本当に速いです。
だから、私はできるだけ親御さんの心配の種を積んでおきます。

昨日も、いい知らせとちょっと良くない知らせを持った生徒さんの親御さんにお電話しました。
偏差値が上がり、判定もそろそろ出てきたこと。英語のリーディングが学年トップだったこと。でも、一つだけ残念なことがあってけれど、それはおそらく試験を受けるときの振る舞い方がまだわかっていないのではないか?
そのようなことを安心していただいたりこれからの取り組みを一緒にしていけるようにお電話でお話しました。
ただでさえ不安な受験に、心配の要素は取り除いておくのが私の仕事です。
親御さんが無用に心配され、そこから受験生が揺れてしまうような言葉掛けをしてしまうと、ご本人の気持ちももっと揺れますから。
受験というのは自分との闘いです。周りを見てしまったらもう負けです。周りを見るのは偏差値の表だけ。
後は自分との闘い。
眠くなる自分、体調崩しそうになる自分と上手に付き合いながら、自分の気持ちとも調度に折り合いを付けながら遠くに見える一筋の光目指して進めていきます。
努力しなければ絶対に手に入らないけれど、努力すればしただけ可能性は近づいてきます。

夏です。みんなが頑張っています。
どうかそれぞれが自分との闘いに打ち克ってほしい。
共に闘い抜くべき夏がやってきています。

公開:2023/07/08 最終更新:2023/07/08
ページトップへ