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国語の指導ー『徒然草』「仁和寺にある法師」

年々国語力が落ちているような気がしています。
中学生の。
正直、英語に力を入れるのも素晴らしいことではあるけれど、お願いだから、国語の指導にもっと時間も気持ちも割いてほしい・・・、と祈るような思いでおります。

中二生に、『徒然草』の「仁和寺にある法師」について、ワークに取り組んでもらっていました。
答え方がわかっていない・・・。
これは、テクニックというよりも、林修先生がおっしゃっているように、数学的な、論理的な力の問題ではないか?と思っています。私が中学時代に、国語は勉強するような教科ではないと思っていたのは、たぶん数学が好きだったからではないか?と思っているのですが、明確に、この部分、と切ることができないようです。国語はバシッと、ここ、というのを自分の力で明示しなければならない教科です。

それから、心情理解で言うと、仁和寺のお坊様が、長年石清水八幡宮に行きたくて、なぜ、年を取って、なぜ、石清水八幡宮に行くことにしたのか・・・?
今日は、具体的な事例を挙げて、必死で、このお坊様が思い立ったことは何か?ということを考えてもらいました。

私と、その場にいた先輩が、一生のうちでどこに行きたいか?という質問を一生懸命にしていました。日本国内ではお話にならなくて、あれこれ言ってもピン!と来ない後輩に、「じゃあ、ハワイは?」と訊くと、行ったことがあったりして、困っていました。

実は私、行きたいところがあります。
単純に好きな歌の歌詞の中にある場所だから、ですが、アフリカです。コーヒーが大好きだからではありませんが・・・。
キリマンジャロに降る雪が見たい・・・。
それから、フラミンゴが一斉に空を飛ぶ様子をビクトリア湖で見てみたい・・・。

それまでにたくさんたくさん行きたいところがあります。
絵が見たい・・・。音楽が聴きたい・・・。

「剛毅」という絵が好きで、憂いを帯びたちょっと勇まし気な女性に、私は憧れているし、「睡蓮」も見たい。

でも、たった一つしか行けないのだとしたら、私は、アフリカに行ってみたい気がしています。

もし、私が、急に思い立ったとしたら・・・?そんでもって、キリマンジャロだけ見て、ビクトリア湖には行かなかったら、どんな気分になると思う?と訊いてみました。
やっと状況がわかってくれたようでした。

久しぶりに、深いところまで掘り下げた授業になりましたが、今の学校に、国語を深く味わうだけの時間があるのだろうか?
先生方はたいそうご苦労されていらっしゃるだろうな、と思っています。

勤めた学校は、どこも教師の裁量で、いろいろさせていただけるところでした。
だから、わりといろいろさせていただくことができました。
本当は、国語はとっても大事だし、何より面白い教科なんだけどなあ・・・。

公開:2019/10/11 最終更新:2019/10/11
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