ブログblog

俵万智さんのエッセイー青春時代の思い出

俵万智さんは、ちょっと年上だけれど、国文科出身の高校教諭だったころもあって、親しみがあった。
大学三回生のときに、センセーショナルな形で、『サラダ記念日』が出版された。
私自身が学校現場で教壇に立っていた頃には、短歌はもちろんのこと、そのエッセイが大好きでよく授業で使わせていただいていた。
『よつ葉のエッセイは』、本当に楽しく、生徒に紹介したので、紹介して貸しているうちにどこかに行ったことが2~3回。
手元になくなってからずいぶん長く、やはり不便で、私はようやっと中古で売り出されている本を見つけ、購入した。
懐かしい。

当時、職員室では、私が俵万智さんの短歌を使っていることを見聞きした先輩からは、国語科の先輩も、それこそ俵万智さんの本当に先輩でいらっしゃる先生も、「俵万智のは短歌と言っていいのか・・・?」とまだまだ怪訝な顔をされていた。
私は、評価としてはどうかはわからないにしても、単純に惹かれるものがあり、短歌の世界に生徒たちを導くことに喜びがあり、正直とっつきやすい短歌としては本当に良かった。何より年代が近いので、青春時代の気持ちを歌われたものもあり、生徒たちは嬉しそうに取り組んでくれた。
それほど、短歌か?と思われるほどに、斬新で、短歌の世界に新たな息吹を吹き込まれたのだと思う。
口語で短歌を歌う。
ぼく、絵はピカソです、という表現が、ときに絵が下手なこと、つまりは理解されない絵を描くという表現にされたりするが、キュビズムに至る前のピカソは、デッサンも優れ、我が子の才能を見て、自分の才能のなさを思ったピカソの父親が筆を折った、という逸話があるくらいに、ピカソは絵がうまい。

俵万智さんが文語で詠まれた短歌を拝読したことがあるが、とんでもなくうまかった。
そんな俵万智さんが敢えて口語で歌いたい心情に、私は単純に惹かれたのだろう。
今、中学生の国語の教科書に俵万智さんの歌が掲載され、この歌人の評価が確立したその年月を思い、登場した頃の、世間を騒がせたことを思い出す。
周りの先輩の反応も。
でも、いつの間にか押しも押されもせぬ歌人となり、私が子育て真っ最中の時に、出産され、『トリアングル』の世界は本当のことだったの!?と驚かされもし、そのうちに子育てについても歌を詠まれ、そして、かつての優等生をかっ飛ばしたいご自分とも闘い抜いてこられたようである。
たびたび登場されるお母さまは本当に家事がお出来になるらしく、何度もエッセイで読んでは私も大好きになった。
『りんごの涙』所収の「母と私の台所」はあちこちの学校で授業に使わせてもらった。
料理のおもしろさがものすごく伝わってくる文章だった。
俵万智さんもお料理好きで、私も文章から短歌だけではなく影響を受けている。
黄色いニラを炒める時間、君と食む三百円のアナゴ寿司、とか、「思い出はミックスベジタブルのよう けれど解凍してはいけない」などと料理や食材があちこちに出て来る。
思えば結構影響を受けてきた作家である。
 
で、大人になってから、そう随分、大人になってから、図書館で借りてきて読んだ本『101個目のレモン』と思い出の『よつ葉のエッセイ』を中古で注文した。もうなくなってしまうかもしれないと恐れて。本当に使いたいときになくなってしまうことを恐れつつ、どこかで自分の若いころや、それなりに思いのあった頃のことなどを思い出す。
そして最近、どうしてこうも人間というのは?もしかしたら自分がそうなのかもしれないけれど、めちゃくちゃ大変だったり、めちゃくちゃ忙しかったりして、あー、乗り越えた!というときのことを愛しく思い出すのだろう?と不思議の感に打たれるのだ。

公開:2023/05/22 最終更新:2023/05/22
ページトップへ