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何となくいい雰囲気な感じ―佐々木幸綱の歌から

私は、最近の教室の雰囲気がとても好きです。

当初自分がしたかった指導ができているような気がしています。
誰にでも思いがあり、実現したいものがあるものですが、私の場合、教育の分野で、その思いや実現したいことが大きかったり、多かったりします。

教室が自分の思っているのとは違う在り方になってきたなあ、と思うときは、ちょっと苦しくなるのを感じます。
こういうのは、一人の働く人間としてはちょっと違うのかもしれませんが。

チェリーに来て、明らかに変わった、と思えるものがあったり、そんな言葉掛けができたりすると、私はとっても嬉しくなります。
ただ、塾にやらせているのだから、成績は勝手に上がるでしょう、と思っておられると、なんだかそれは違う感じがして、一緒に努力していきたいと思っているのです。
親御さんと連携して、こういう状態だから、○○という風に親御さんにも努力していただいたり、ご協力いただいたりする、という教室です。
教科だけを上げる方法があるにはありますが、まさかお子さんは、大人の言うことを聞いていればいい、というのではなくて、思春期の、意志のある一人の人間です。
塾にやらされている、と思いながらの通塾なんて、効果的ではないし、塾に預けておけば何とでもなるなんて、それほど簡単なことではありません。
お子さんが一生懸命な時期には親御さんもできることがあります。

先日中学生の短歌の指導をしていたときに、佐々木幸綱の歌が出てきました。
子どもが、このまま坂を上がっていい?と父に聞くので、父は、大きくいいよ!と答えます。
みんながみんな、お子さんを応援できるとばかりは言えません。
その時期に何か起こるかもしれないし、社会の情勢も影響もあります。
でも、そのとき父は、いいよ!と大きく答えるのです。おそらくは自らの決意を込めて。
俵万智さんのお師匠でもあるダイナミックな歌人、佐々木幸綱。
そこで、中学生の彼に、私はこの子どもとお父さんとの関係、それぞれの気持ちを熱く語ってしまっていました。

かつての保護者の方で、ああ、これはうまくいくなあ、と思えたのは、
子どもが、難関を目指したいと思っているのだから、私たちは応援もし、協力もします。
後は、先生と二人で・・・、というご依頼でした。
時には親御さんにお願いしなければならないこともあります。
親御さんとの関係性でつまずくこともあります。
それが出やすいのは、意外に高校に入ってから。
それも、結構、いい高校入ったね!という結果の後に息切れする子も出てきます。

そんなときにご相談いただけると、私は本当に助かるし、私なりのいい指導-つまりは役に立つこともできると思うのです。

人間は機械ではありません。
気持ちもあれば、身体の状態によって、当然振る舞いも変わってきます。
先日知ったことですが、食べ物や服用するお薬によっても、気力も変わって来るようです。
体力もその子その子で違います。

少々のご苦労があるほうが、将来について、真剣に考える機会が与えられ、結果的には10代に、人より自分の人生を深く内省する時間を持ち、今、自分が何をしなければならないのか・・・、ということをしっかりと自覚されることにもなるかもしれません。

何かにシステム化され、何かに均一化され、誰にでも通用する教育法があるかのような社会的な風潮がありますが、私は人間を扱う教育という分野において、すべてがシステムで乗りきれるとは思いません。

システム的に乗り切れるところは、うまく取り入れつつ、それでも、最終的にその情報をつなげるのは、経験も含めての直感を含めたアナログな人間の力だと思います。

最近の若者が取り入れる知識はどんどん薄くなってきています。
国語を教えていると、年々、読解力が落ちているし、知識の浅さを実感します。
中三の男子と語り合っていたのですが、ゲームからの知識で勉強につながっていることが多いのだそうです。
ただ自分でも言っていたのですが、わかったつもりになってしまって、あまり深堀しないんねー、とのこと。
なんとまあ、チェリーにピッタリの生徒さんが来てくれたことでしょう。

彼が言うには、わからせてくれるから、とのことです。
ここの塾は、やり方を教えるのではなくて、わからせてくれる・・・。

そう、わかってほしいのです。
高校に行っても通用するような、もっと言うなら大学に行っても社会に出ても通用するような、わかる力、わかろうとする力を培ってほしいのです。

それから嬉しいお言葉は、合格だけがゴールではなくて、櫻井先生みたいに、ずっと学んでいけるようになってほしいです。
と言ってくださったお母さまがいらっしゃいます。
確かに私は学ぶことが好きです。
そして、誰かとの人間関係においてさえ、学びから得たもので乗り切っているところがあります。

先日は、毎日呪文のように唱えていました。

人知らずして恨みず
また君子ならずや

誰も評価してくれなくても、恨まない。なんと立派な人間の姿であろうか。

いやいや君子になろうと思っているわけではありませんが、君子とは何か知っていますか?
徳の高い人物です。
立派になりたいわけではなくて、自分の気持ちを整理したい。私などその程度ですが・・・。

身近では人徳、などと使いますよね。

家族間の関係で、私は一生懸命にやっているのに、あまりわかってもらえない。
そんな苦しさの中にいたとき、私は家事をしながら、この論語の言葉をいつもつぶやいていました。
そしたら、ある日、私のしていることがそうそう間違ってもいない、ということに気づいてもらえることがあって、ホッとした次第です。
主婦の生活に論語を生かす私も私かもしれませんが、生活に生きもしない学問をする贅沢はできない、とばかりに自分に言い聞かせていたりします。

でも、サラリーマンになっても、自分自身の働きが、いつも人に正当に評価されるばかりではありません。
自分が一生懸命に地道に頑張ってる横で要領のいい人が出世するかもしれません。
いやいや自分自身が一生懸命やっていることが周りと調和にも何か影響していたりするかもしれません。
さて、どうすればいいのか?

そんなことを考えさせてくれる要素が、実は教科書の中にはたくさんあるのです。

公開:2022/06/23 最終更新:2022/06/23
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