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井原西鶴『好色五人女』について語ります!ー大阪が生んだ奇才!

今度、朝活上市さんで、進行役を務めさせていただきます。
そのタイトルをしばらく悩んでいました。
タイトルは、文学の話だったのですが、その、文学作品をどうするか・・・?と悩んでいたのです。
こういう時は、しばらく寝かせて、天からの啓示?(笑)が降ってくるのを待ちます。

根を詰めて考えても、いい案は出ないのです。
それが証拠に、川端康成について語ろうか・・・?などと考えていて、あの観念的な世界を、たった一時間でどうして語れる?というようなことを頭で考えだし、昨日、後2~3日で決めよう!と決めていて、そしたら、指導中に、天から降って来て、
そうだ!京都に行こう!
ではなく、
そうだ!西鶴にしよう!
と思い着きました。

だいたい、あなたは、文学の話してたら大人なのに、現実の世界では中学生みたい・・・、と友達に言われたときには、もうすでに中学生の母時代で、作品の中でなら、語れます。

この、西鶴は、こういうブログで書いていいのかわかりませんが、いろいろセンセーショナルなことをしでかした人です。
この人に馴染みがあるのは、叔父のお嫁さんである、叔母で、大変に私を可愛がってくれた人がいるのですが、この人のご実家のある大阪の玉造(何気に『竹取物語』にも登場しますが。)の出身で、そこにある生魂神社というところで、一大イベントを興行し、それが大ヒット!
それから、なんと!たぶん日本初の、○○本(コンビニや自動販売機で売ってるような?)、『好色一代男』を出版し、一躍時代の寵児になるのです。

以前、さんまさんが『好色一代男』の主人公世之介を演じられて、まあ、なんとナイスなチョイス!と思って観ていましたが、それはもう、とんでもない数の、2,000人とかの、女性と関係をもつのです。

それは、遊里、遊郭の話が多いのですが、一方、『好色五人女』は、普通の女性の不倫を描いています。
不倫だけでなく、淑女が恋に目覚め、とんでもない変貌を遂げていくさまも描かれています。
普通の女性ーつまりは地女の恋愛を描き切るのです。
人間性開放もここまで来たら、素晴らしい!いくら浮世の元禄時代、とはいえ、西鶴おじさん、よくここまで書ききりました!という書きっぷり!
それも、実話をもとにしていましたから、リアルだし、身近だし、話題としても新鮮で・・・。

最後は心中になっても、この方は、それを笑い飛ばす。

一方、武家出身の浄瑠璃本を書いた近松門左衛門は、同じ心中事件に取材していても、それは美しい悲劇に仕立て、それを対比すると、ああ、西鶴さん・・・、となります。

でも、こういう色恋を描いた作品だけではなくて、借金取りの話など、現代にも通じるリアルさで、それはもう、とんでもなく天才です。大学受験指導でこの話をするとき、私はその天才に唸らされます。

天才というのは、もう一つの意味もあり、一本の筋で、話を進めているのに、絶対に、それを客観視したような視点を必ず入れてきて、どこか身を傾けて、今の筋の真面目さをずらして面白がっている?均衡を取っているようなところがあるのです。
その癖が、必ずどこかに出ていて、私は、このやり方が大好きです。
深刻になり過ぎず、熱くなった自分を醒めさせるような。

その熱くなりすぎないようにするところが面白すぎる。

そんなこんなを語ろうと思っているのですが、なぜに私が西鶴を勉強したかというと、おばあちゃんに唆されたのからです。
近現代の研究をすることに自信がなくて、どうしよっかなー?と思っていた頃に、おばあちゃんが、
あんたー、女子大生言うたら、『源氏物語』やと思うやろ?(何?この偏見。私はだから近現代がやりたかったんだって!)。
そやけどなー、題名聞いたら、何や?と思うかもしれんけど、最近なあ、西鶴の『好色五人女』とか流行ってるらしいでー。
と言われて、ちょうど大学に専門家がおられて、私は西鶴にハマることになったのでした(卒論はほかの作品にちゃっかり逃げた。)。

このおばあちゃんは、最晩年、よく私に電話を掛けてきていました。
おじいちゃんとの二人暮らしが不安だったのでしょう。
子どもたちは、結構近場に住んでいたのだけれど、どこに行く、という決め手もなく、その不安を解消したいかのように、遠くに嫁いできた私のところに電話してきていました。

小さいころ一緒に住んでいたし、おばあちゃんや叔母たちの専門と同じ国文に進んだ馴染みもあり、
あんた、そやけど、夏目漱石言うたら、理屈ややなー、。
とどこか人間性について深堀するよりも、感性で生きてきたところのあるおばあちゃんは私の大好きな漱石大先生をそう評するのでした。
あれが理屈屋やったら、私も理屈屋やん・・・、と学校で『こころ』を語っていた私は思っていました。
偉大な漱石。

話は戻り、西鶴の世界に、全く共感できるか?と言えば違うのかもしれませんが、私は、西鶴を天才だと思っています。
日本文学史において、源氏の次は西鶴だ!とおっしゃった方がいらっしゃいましたが、そうだろうなあ・・・、と思ってしまう自分もいます。
あの天才はすごい!
品性について、どうのこうのは言えませんが、とにかく天才であることは間違いありません。

公開:2022/07/24 最終更新:2022/07/24
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