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お手伝いの効用ー勉強時間との関係性において 大学受験も高校受験も。

生徒さんは若い。
その若い時期に出会っていても、時にその人生に大きな影響のある出来事に遭遇されるところに私も立ち会うことがある。
それまでの環境での育ち方とは違い、当然に大人になることを求められ、またそのことが家族の支えにもなる、ということもある。
塾でそこまでやらなくても・・・、という説もあるけれど、私は塾だって教育機関。教科を通して成長していってほしいと願っているので、また、成績を上げる過程でそのことともしっかり向き合わなければならないということもあり、できる範囲で一緒に立ち向かっていきたいと思っている。

先日、親御さんが結構忙しくしておられるのに、のんびりとしている生徒さんがおられたので、ああ、これは注意しなければ・・・、と思って話したら泣かれた。お迎えが遅い、お腹が空いた、とのことだった。
お迎えが遅ければ、そのまま勉強すればいいでしょ?と話していた。
お母さまは、
もっと言ったって下さい。こんなこと誰も言ってくれんよ!
と言ってくださっていた。
家族に何かあるときまで、中学生や高校生として毎日当たり前のことだけをしていればいいというわけにはいかなくなってくる。
状況によってはお手伝いをしたり、今までより真剣に学習することが周りを支えることにつながるだろう。

開成などのスーパー進学校ではお手伝いをすることを推奨しているらしい。
さもありなんである。
お手伝いというのは、何かと段取りを覚えることになるし、時間の使い方についても効率的な方法を考えるためにちょっとした葛藤を与えてくれる。
若いころ、勉強だけをしていなさい、というのは子供の将来を思ってのことであっても、できれば生活の中にお手伝いをさせる時間をもたせた方がいいと思う。子どもだって、家族に対してい貢献感をもたされると生きている実感を持ちやすい。自分の生を肯定しやすいと思う。

私は特に父が勉強ばかりしていてはいけない、という考えで、あれこれ家の手伝いをしたものだった。
自分の知る限り周りにはそんな子はいなくて、結構ぶつぶつ言っていた。
それが大学の友達の家に社会人になってから遊びに行った折、弟さんが体調を崩して休んでおられたときに、友人はお粥を作って食べさせておいて・・・、とお母様に言いつけられたのに、私にHelp me!となった。お粥くらい作れた。というより作ったことはなかったけど、適当に作れた。
4回生のとき、大学は違ったけど仲のいい、社会人の友人の家にお泊りに行った。そのときにも一緒にお料理を作りながら、ああ、父がいろいろ教えてくれたことはありがたかったのだな、と思えた。
どこに行っても恥ずかしくないようにあれこれ教えてくれたのは父だった。母の方がむしろ勉強だけしていても許してくれたのかもしれない。
どんなに忙しくても、毎晩夕飯の食器洗いは妹と交代でしていた。
洗い方の注意も受けた。

お手伝いは勉強を妨げたりしない。
勉強にでも仕事にでも生かすことのできるスキルを身に着けさせてくれる。
不憫に思ったり、目先の成績だけを思うのではなく、大きく広い視野で将来のことを考えるなら、小さくてもいいからお手伝いをするというのは大事なことである。

人生にはいろいろなことが起こる。その起こったことに合わせて、自分も何かやってみるというのは大切なことだ。
そんなときに自分の発した言葉がどうぞ相手に伝わりますように・・・、と思いながら言ってみる。

次の日、その生徒さんはもう来られないかな?と思っていた。
自習に来られたので、お母さまに、
昨日はもう来られないかな?と思ってました。
とお話すると、
本人、かなり反省したみたいです。今日も自分から行くって言ったんです!
と話してくださった。
根性あるよね!良かった!と思った。

教師はときどき掛けにでる。
今、自分の言った言葉をしっかり受け止めてもらえるかどうか・・・。
もう年季が入っているので、大抵は掛けに勝つ。生徒さんの心に響く。
でも、その成長の度合いを見誤った場合、私はどうしようといつもドキドキしているのである。

公開:2023/06/29 最終更新:2023/06/29
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